2021年6月15日火曜日

「 ゴルフ」15 :クラブを振ればボールに当たる

  今回は、脳神経の見地より、「クラブを振ってボールに当てる」のではなく、「クラブを振ればボールに当たる」ように脳の視覚情報処理がなされているのではないかという話です。

 私たちは、クラブでボールを飛ばす時には、「眼」でボールを見て、その位置情報を基にして、ヘッドの軌道がボールを通過するようにシャフトの軌道を脳からの指令で身体の筋肉をコントロールし、そのようにクラブを振った結果、ボールにヘッドがうまく当たり、ボールが飛んでいくと思ってます。

  本当にそうでしょうか? ここで、「眼」から得られる「視覚情報」とは何かを脳神経および心理学から考えて見ます。「ものが見える」ということは当たり前のことだと思われるかもしれませんが、実はそう単純なことではありません(詳しく知りたい人は「脳のなかの幽霊」V.S.ラマチャンドラン をお読みください)。一般的な解説では、映写機のように対象物が眼のレンズで網膜に倒立像が写され、その光信号を視神経が脳に送って脳がその映像を認識するといことが説明されています。しかし、ちょっと考えて見てください。映像の信号は、テレビの画像と同じように画素1点ごとの輝度と色の情報からなり、それらが網膜全体の情報としてまとめて脳に送られます。しかし芝生の上に置かれたボールとともに芝生の映像が脳に送られた場合、どうやってボールと芝生を区別できるのでしょうか?人間は一瞬で区別します。一方、例えばロボットはカメラから送られてくる画面映像における芝生からの信号の中からボールらしき信号を抽出し、それをボールだと認定するための高速の画像処理を行わないと認識できません。認定するためには、その信号が丸い領域からのものであり、大きさもその領域と眼との距離で想定されるボールの大きさと同じだと推定されるものであること、そして色等のことを判別することで、この部分がボールだと認識できます。ここでもしボールの色が赤や黄色だったらさらに判別を誤る可能性もあります。ところが人間は色が違っても、遠くにあっても一瞬でボールだとわかりますね。

 この神業は、人間の脳の中には画像情報を処理する領域がいくつもあって、それらが複雑な神経ネットワークで結ばれることで達成されています。そのネットワークに網膜からの情報がのせられ、そこで不要もしくは余分なデータは処分されて、また色々なプロセスな処理が施されてたのち、複数の視覚領域に分配されます。たとえば、色彩や、奥行きなど抽出する領域や、まとまった物体としての認識や動きを抽出する領域等です。また視覚領域に伝達される経路もまず敵(物体)を認識したら無条件に身体が対応して動くような反応につながる古い経路と、物体がどこにあるか、つまり自分が行動する時に物体の位置関係を判断できる第1の新しい経路、および物体が何であるかということを認識する第2の新しい経路とがあるようです。それによって、例えば予期せず野球のボールが飛んできた場合、まず視野にボールが入った段階で、ぶつからないようによけろと身体に指令が行き、次にそれがボールであると認識し、その動きを眼でとらえてどのように手を出せばうまくキャッチできるかを脳が処理します。ここで面白いのは、これらの複数の領域の処理が通常はうまく協調して共同で動くため、本人には何の違和感もなく眼で見て行動しているように感じています。しかしこれらの複数の領域はある程度は独立に動けるようです。これは、ある患者の驚くような挙動から推察されました。ある患者は視力そのものは問題なく、自動車も道路もよく見えていました。ただ彼女に見える自動車は断続的な写真みたいに見えるため、動いているスピード感が全くわからないので、こわくて道路を横断できなかったのです。実は彼女は物の動きに関する領域に損傷があったのです。また別の患者は脳の障害で、意識上に眼からの画像情報が認識できず、眼が見えないという状態でした。しかし、彼が、見えないはずの手紙を手に渡されたとき、横向きの郵便ポストになんの問題もなく投函するという行動ができたのです。つまり眼からの視覚情報は彼の意識に画像として伝わっていませんでしたが、物体の位置関係を処理する領域に伝わっていたため、そのようなことができたようです。つまり視覚情報が必要な領域にに伝わっていさえすれば、意識には画像そのものは伝わらずに本人は視力がないと思っていても、身体はうまく適正な行動に対応できるということです。

 さて皆さんには、もう、私の言いたいことがお分かりですね。スィングのときにボールの視覚情報が眼から入ってさえいれば、いわゆる「自分」つまり「意識」でいろいろ調整しなくても「意識」以外の領域でうまく処理してくれるのです。過去に良いショットの感覚だけを記憶しておいてスィングすれば、何もしなくてもヘッドはボールに当たるのです。「意識」が強引にスィングの途中でなにかを修正しようとすると脳の中の複数領域の協調作業を乱します。このブログの2回目に書いたように「意識」は脳の各領域の活動に遅れて出現しますので、意識でなにかいじろうとするのは手遅れです。結論として、冒頭にも書きましたが、意識で「クラブを振ってボールに当てる」のではなく、「クラブを振ればボールに当たる」ように脳の視覚情報処理がなされていると信じてやれば良い結果になると思います。弓道でも的(まと)の一点を見つめてしまうと、見つめたそこに心が集中してしまって、己の心身が疎かになるとして一点を見つめることを戒めているようです。意識がそこに凝り固まると、視覚情報の連携作業が阻害されてしまうことを経験上で学んだのかもしれません。

 それでは、また次回に。